2017/07/23

ライオンズと不仲説のカルビン・ジョンソンはキャンプに来るのかな?

2015年シーズンを最後に引退したデトロイト・ライオンズのワイドレシーバー、カルビン・ジョンソンさんが、なぜかここに来て、いろいろライオンズには不満があったことを語っています。

まず5月に、引退してよかったと思っているが、「ライオンズについてはあまり話したくはない。良い関係で終っていないから」と発言

むむ、なにやらワケあり・・・。

どうやら、引退が決まってから、2012年の契約更新時(8年約132億円)にもらった契約ボーナスの一部を返金しなきゃいけなかったらしい。

ま、お金がからむと何かとこじれるよね。などと言っているうちに、7月にはアメフト宣伝のためイタリアへに出向いたカルビン・ジョンソンさんが、ずいぶんリラックスした調子

「デトロイトじゃもうやりたくなかったんだよね~」と告白しました。


「バスケットボールならスター選手を集めてスーパーチームを作ることもできる。しかしフットボールは違う。好きなチームに行けるような自由はない。

契約があるからデトロイトにいるしかない。そう言われたんだ。リリースはしない、だからまたチームに戻らなければと。スーパーボウルに行けるチャンスはなかった。それなのに、一生懸命練習していたのさ。じたばたしたって時間の無駄だ。だって勝てないんだから。

バカバカしいとはこのことさ」

笑いながら、冗談まじりですが、明らかに自分のチームをボロクソ言ってる。メガトロンどうしたん?こんなことを言う人じゃないはずなのに。

遠いイタリアでのマイナーな記者会見ということで、ちょっと気が緩んでいたんでしょうか。イタリアの陽気なメディアにサービスしちゃったんでしょうか。

体はボロボロ、チームは勝てないとなれば、正直、誰だってこういう気持ちになってもおかしくない。やっぱりな、とも思います。

でも、こんなこと言われてチームメイトはどういう気持ちがするのか。メガトロンには大型契約があった。チームは勝てなかったけどプロとしての見返りはあった。だけどチームの中には、やっとプロとして生活している選手もいる。スーパーボウルは無理と分かっていても、みんな必死にトレーニングに励んでいたんじゃないの・・・。

勝てないチームだからって見下していいのかよぅ。スーパーボウルが第一の目標というのは分かるけど、でもそれだけじゃないよね、フットボールするってのは。もっと大切なことがあると信じたい。ちぇ~、ジョー・トーマスさんに説教してもらいたい。メガトロン何を言うてるんやと・・・。

――でも、フロントへの不満が真っ黒い風船みたいに溜まっていたのかも。それがつい口に出た。思い返してみれば、引退発表時もチームでの記者会見はなかったしね。看板選手なのに静かすぎる引き際。もうチームの顔みたいな役割はしたくなかったんでしょう。

と、そんなことが報道される中、ライオンズの会長さんがカルビン・ジョンソンさんをトレーニングキャンプに招待したそうです。

来るんかい?

何しに?

イタリアでのインタビューでは、オークランド・レイダーズのクォーターバック、デレク・カーさんをすごく褒めていたので、メガトロンはレイダースに行きたいのか?!という噂もささやかれましたが、ちょっとそれはないっしょ・・・ねぇ。

5月にはレイダースのOTAに顔を出していたけど。それはない!ないかな?


2017/07/20

大学教授がジュリアン・エデルマンにお詫びを入れた件

親愛なるジュール(*ジュリアンの愛称)

キミは私を覚えていないと思う。2006年春に、にサン・マテオ大学のEnglish 100でキミの先生をしていた者だ。キミに手紙を書きたいと思っていたんだ、ああ、1000年くらいもずっと。軽率な発言をしてしまったことを謝りたい。キミは覚えていないかもしれないけれど、ずっと気にかかっていたんだ。

”リーグに行く”というようなことをキミは言った。それで私は、もっと現実的な目標を持て、一握りの人しかプロのアスリートになることは出来ないんだ、とかなんとか言ったんだ。

正直、それでキミが気を落としたとは思わない。しかし、これを思い出すと私はいつでも嫌な気持ちになるんだ。私が間違っているとキミが証明したからじゃない。何にも知らないくせに、キミのフットボールにかける情熱を軽蔑するような、馬鹿な発言をしてしまったからだ。

多分、学期の始めの頃だったと思う。キミのことをよく知る前だ。けれど、キミの執念、底力を疑うなんて!

繰り返すが、キミはこんなことを思い出しはしなかっただろう。しかし、そうだとしても、あの日馬鹿なことを言ってしまって申し訳なかった。


という手紙を、ニューイングランド・ペイトリオッツのワイドレシーバー、ジュリアン・エデルマンさんが紹介していました。

11年前のことが気にかかっていた先生からの手紙!

手紙っていいなあ。電話とか、メッセージとか人とのコミュニケーションが手軽にできるようになって、手紙なんてずーーーーっと書いたことありませんが、いいなあ。心がそのまんま紙の上に乗ってくるような気がしませんか。

しかしなんですね。高校卒業しても、大学からフットボール奨学金のオファーもない。無名の小さな大学にまぎれこんで、なおかつ「オレぁNFLに行くぜ!」と鼻っ柱の強いところを見せている若きエデルマンさんを想像すると、微笑ましい。

この気概。不屈の魂。

エデルマンさんはこの大学で1年過ごした後、ケント州立大学に編入して3年、そしてドラフト7巡目でペイトリオッツに指名されました。今やNFLのスターワイドレシーバー。すご!

ジュールぅぅ!今シーズンもまたガッツのあるプレイ見せてね~!ペイトリオッツはどうでもいいけど~~~!!

2017/07/16

アントニオ・ブラウンとTY・ヒルトン むか~しの話

もう7月中旬ですよ、みなさん!月末にはトレーニングキャンプも始まるし、8月にはプレシーズン。9月の開幕がやっと見えてきた感じ・・・。

と、はやる胸を抑えながら、今日はピッツバーグ・スティーラーズのワイドレシーバー、アントニオ・ブラウンさんとインディアナポリス・コルツのワイドレシーバー、TY・ヒルトンさんが子ども時代に知り合いだったという話を紹介します。昔の記事なんですけどね・・・。

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二人の出身地、マイアミの北西部にあたるリバティシティは、ドラッグがらみの犯罪が多く低所得世帯が大半を占めるタフな街。でも土曜日の公園には、小学生のフットボールチームを応援する家族が詰め掛けます。

テントを張って試合前に貝を焼く人、孫の顔をプリントしたTシャツを着るおばあちゃん、サイドラインには高校のスカウト、子どもの試合に賭けをする大人たち。とにかくフットボールが愛されている土地柄のよう。(NFL選手ではWRチャド・ジョンソン、WRアマリ・クーパー、RBデボンタ・フリーマン、LBラボンテ・デビット、QBテディ・ブリッジウォーターさんなども同郷)

その公園で、小学生だったアントニオ・ブラウンとTY・ヒルトンをコーチしていたのが、ヒルトンの父親タイロンさんでした。といっても、ブラウンのほうが1歳上、体重でも別のクラスだったので、一緒のチームだったことはありません。

二人とも小柄で機敏、抜群の選手という点では同じ。しかしシャイなTY・ヒルトンに対して、アントニオ・ブラウンは自信満々で積極的。小さい時からカリスマ的だったそう。

「コーチ、僕にクォーターバックやらせて!僕、ワイドオープンだったよ!コーチ!」

よく突っかかってきたよ、と笑って語るタイロンさん。コーチの家にはチームのチビッ子たちがよく泊まりに来ました。ヒルトン母手作りの朝ごはんを食べた後、みんなで試合へ繰り出すような家庭。TY・ヒルトンによれば、「みんな、うちの両親が自分ちのだったらなあって思ってたよね」とのこと。

成長するにつれ、フィールドから姿を消してしまう子どももいます。コーチした選手のうち、3人は殺害されました。波に呑まれるように、どこかへ行ってしまった子どもたち。その中の一人がアントニオ・ブラウンだったとタイロンさんは語ります。

「公園に来なくなって、そのまま消えてしまったんだ」

アントニオ・ブラウンの父親、エディー・ブラウンさんは、足が速くラビットと異名をとったリバティシティの花形スター。18歳の時にアントニオ・ブラウンが生まれました。母親と子どもをマイアミに残して、ルイジアナの大学に進学。その後、アリーナフットボールリーグで活躍します。

アントニオの母親とは別れるものの、アントニオ8歳の時に、弟と二人をニューヨーク州アルバニーに呼び寄せます。父はアリーナフットボールと同時に高校のコーチもしていて、兄弟はフットボールづけの毎日を楽しみました。しかし8ヶ月後にはマイアミへ逆戻り。それからずっと父親と会うことはありませんでした。

ヒルトン家から2キロほど離れた場所で育ったアントニオ・ブラウンですが、二人の世界は全く異なっていました。高校になると、友達はクラックコカインを売るギャング組織に入ったり、パーティに行けば必ず最後は銃撃戦になったりするような環境。

16歳の時には、母親が結婚した2度目の父とケンカして家を出ることに。友達のソファや車に寝泊まりしながらも、高校ではクォーターバックをしていました。あまりの評判に、近隣に住んでいたQBジノ・スミスはブラウンが在籍する高校に入学するのを止めたという話も。

卒業後は、学業成績が悪く大学奨学金がもらえない、友達のケンカ沙汰に巻き込まれて入学取り消し、等の紆余曲折を経てなんとかセントラルミシガン大学へ。ブラウンに目をかけていたアシスタントコーチ、ザック・アザニさんが声をかけてくれたのでした。(ビデオ2:20で出てくる人)

なんとかチームに入ったもののヘッドコーチの期待は薄く、最初の試合ではベンチ。しかし残り時間が少なくなるとコーチに出場を嘆願し、やっとフィールドへ。そこで大活躍を見せます。

「試合後には、私の目をまっすぐ見て『ほら、言ったとおりだろう!』って言ってたよww」

と当時のヘッドコーチ。そして、すぐに1試合100ヤードを記録するようになり、名前が知られていきます。そんな折、父親エディ・ブラウンさんが息子の試合にひょっこり顔を見せました。

「ロッカールームの出口に立ってたんだけどね、あいつはオレをじろりと見て通り過ぎたさ」

父親の方から電話をしてみても、そっけなく、気まずい沈黙。そしてある日、遠征先のホテルで面会した時に、息子は泣きながら怒鳴りました。

「オレがどんなふうにやってきたか知ってんのかよ!路上で暮らしてたんだぞ!」





今では、いつもニコニコ顔のアントニオ・ブラウンですが、小さい頃の写真を見ると険しい顔をしていますよね。

「あいつは自分の怒りをフットボールにぶつけていた」

「フットボールが好き、というより、あいつにはフットボールが必要だったんだ」

「絶対にNFLに行ってやるという信念を持っていたんだ」

とかつてのコーチが語っています。

さて、小学校で別れて以来、TY・ヒルトンが再びブラウンの存在を知ったのは、フロリダ国際大学の頃。ライバル校のフィルムを見ていた時、対戦相手に見覚えのある顔を発見したのでした。「ひょっとしてAB?」と驚いたそう。

2010年にNFL入りし、スターダムを駆け上っていくアントニオ・ブラウンを見ながら、体の小さい彼が結果を出しているんだからオレだって、と励みにしたそうです。

2012年にはTY・ヒルトンがインディアナポリス・コルツに入団。その年のプレシーズンゲームで、二人は十何年かぶりで再会しました。まるで子どもの時に戻ったみたいだったとヒルトンは語っています。

今では両親とも和解したと語るアントニオ・ブラウン。すでに4人のお子さんのお父ちゃんですよ!

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持って生まれた身体能力もあったでしょうが、人並み以上のトレーニングを積む姿勢と固い信念がなければ、プロのアスリートにはなれないですよね。もー、こんな話を聞くと、感心するしかないっすよ。

みんな、いろいろ大変・・・。ほんと、えらいなあって・・・。

ということで、ABのプレイも見たいから早くシーズンが始まらないかな~。

2017/07/10

カーソン・パーマーの大ファン!87歳のドロシーさん

カーソン・パーマーさんはアリゾナ・カーディナルスのクォーターバックです。南カリフォルニア大学時代にはハインズマントロフィーを獲得し、2003年にドラフト全体1位でシンシナティ・ベンガルズに指名されました。

ベンガルズに8年、オークランド・レイダーズに2年、2013年にはカーディナルスに移籍して現在37歳。そんなカーソン・パーマーさんの大ファンだという御夫人、87歳のドロシー・ハイドさんのビデオがあったので紹介しますよ~。

「朝は好きなだけ寝てるわ。だってもうなんの責任もないもの。それが年をとって良いことだわ。いつ、何をしろとか言われないですむものね。

朝一番に起きてすることは、新聞を取りにいくこと。まず死亡欄に目を通すわ。友達が載ってないかを確かめるの。次はスポーツ面。カーソンがどうしてるか、チームの調子はどうかをチェックするの」

と語るドロシーさんはヒューストンに住んでいます。特にスポーツには興味がなかったという彼女がカーソン・パーマーのファンになったのは・・・。





2006年のプレイオフで膝を故障したカーソン・パーマー。

「ポンってはじける音が聞こえた。プレイオフで張り切っていたんだけど、それで終わり。瞬間にシーズン終了だって分かったよ」

ACL(前十字靭帯)及びMCL(膝内側側副靭帯)の損傷。膝の皿を脱臼という大怪我で、手術では臓器提供者のアキレス腱を使って、ACLが再生されました。

このアキレス腱の提供者が、ドロシーさんの娘さんであるジュリーさんでした。2004年に交通事故で亡くなっていました。

2度の出産で2度とも子どもを失ったドロシーさんは、生後2日の赤ちゃんを養子に引き取ることにしました。それがジュリーさん。その後、カレンさんという妹さんが誕生。ジュリーさんは反抗的で怖いもの知らずだったそう。音楽が大好きでプロモーションの仕事をしていました。

しかし44歳の時、飲酒運転をしていたドライバーに後ろから突っ込まれて脳死状態に。臓器提供の話を聞かされて、家族は即決で提供することに同意しました。ジュリーなら必ずそうするに違いない。これが人の役に立つ最後のチャンスだもの。

臓器移植の提供者は、もちろん匿名で公表されないようになっていますが、パーマーさんは提供者のことが気になって探し当てました。残された家族に感謝の言葉を伝えるために。ジュリーさんの家族は、スポーツ選手に提供されたとは聞いていましたが、それが誰かは知りませんでした。

「グーグルで調べたのよ。カーソン・パーマーって。記事を全部読んだわ。フットボールなんて興味なかったんだけど、それも変わっちゃったの」

それから、ずーっと新聞でパーマーさんことを追っかけ始めたというドロシーさん。

娘さんの靭帯の助けを借りて、カーソン・パーマーは174タッチダウン、パスを1000ヤード以上を記録したのは4シーズン。

ところが、2014年にまた同じ左膝を負傷。ジュリーさんからもらった靭帯は損傷のため切除され、今回はパーマーさん本人の靭帯を使って再生手術を行いました。

「ジュリーの靭帯がなくなって、ちょっとさびしい気がしたわ」

と妹のカレンさん。でも、家族とカーソン・パーマーさんの絆は続き、2016年にはカーディナルの施設に招かれて、初めて会うことになりました。

「カーソンに会うのが楽しみだわ。孫がもう一人できたみたい」

と言っていたドロシーさん。娘さんの臓器は50人の人を助けることになりました。カーソン・パーマーさんも今では臓器移植者に登録しています。

「ジュリーを愛してたわ、ほんとうに。いなくなってさびしい。毎日そう思うの。戻って来てくれればいいけど、それは無理よね。他の人がジュリーのおかげで助かったと思えば、慰められるの」

と、今でも毎朝カーソン・パーマーの記事を探しているというドロシーさんです。

ということで、今シーズンはカーディナルスの試合を見ながら、ドロシーさんも見てるんだな・・と思うことになるでしょう。

それにしても、臓器移植って、足の靭帯までも使われるんだとは知りませんでした。それも2年前に亡くなった人の体を使うとか、医学ってすごいな・・。

2回も同じ所を大怪我して、また復帰しているカーソン・パーマーさんもすごいだろ・・どんだけタフなの・・と、いろいろ感心しましたよ、私は・・・。

2017/07/02

ジュリアン・エデルマンのヌードが見たい人は手をあげて~

ESPNマガジンの毎年恒例ボディ特集では、有名アスリートたちがその鍛え抜かれた肉体を披露してくます。今年は、ニューイングランド・ペイトリオッツのワイドレシーバー、ジュリアン・エデルマンさんも裸になってくれました。

見たい?見たいっしょ?



すごいですね、この筋肉。こんなふうになるまで、どれだけジムで時間を過ごしているのか。体のデコボコひとつひとつが努力の賜物です。人間の体ってきれい・・・。

「体は僕の聖堂だ。だからハンバーガーを食わせてやるのさ。一日1個だ。コンディションを整えるためにね」

とかなんとかキザったらしい言葉を言った後、自分でフイてますがww

インタビューでは、トレーニングや体のことについて話していました。

俊敏性を養うために、壁にぶつかったテニスボールをキャッチする練習をしているとのこと。色の違うボールを使って、使う手を変えながら、すばやく反応できるように。毎日ペイトリオッツ用具係の人にボールを投げてもらっていて、スーバーボウルでのミラクルキャッチの後は、「テニスボールのおかげだよ!」と二人で喜んだそうです。

米の入ったバケツに手をつっこんで、ぐりぐり動かすというトレーニングもしています。

エデルマンさんは、小さな頃からお父さんがあみ出した数々のドリルをこなしてきました。レシーバーとしてプロ入りが決まった時は、パントキャッチのためにこんな練習を。

片手を背中にテープで止める。妹と友人に顔めがけてテニスボールを投げてもらう。お父さんがスタジアムの高い客席からパントのボールを上げて(フィールド場からだとプロのような高いパントが上げられないので)、片手のエデルマンさんがキャッチする。

あるいは、サングラスの片目にテープを張って、片腕片目にして練習する。

6面テニスコートが並んでいるところで、ネットの柱と柱の間を走りぬけルート走の練習をする。お父さんの創意工夫がすごいですね~。

プロになってコーンドリルやルート走のドリルをするようになってからは、しょっちゅう足をぶつけたり踏みつけたりして、足が醜く変形したと語っています。右足は外反母趾だし、爪はつぶれて、あんまり気持ち悪いのでサンダルなんか履けない――。

それに加えて、指なんかこうですよ! (2:16)



小指が曲がったまま!えッ、これでキャッチしてたのーー!?

突き指、脱臼、骨折。フェイスマスクに引っかかったまま飛ばされたり、DBと争っている時にショルダーパッドに引っかかったり。というのが重なり、もうまっすぐにはならないんですよ・・・。

そのほかにも、両足と腕2ヶ所、顎を骨折。大学時代に肩の手術も。膝の怪我もあるしヘルニアも。慢性的に大腿部の故障も。

体ボロボロやん・・・。

「傷跡を見ると、どんなに自分が歯を食いしばったか分かる。もう一度ハイレベルでのプレイに戻れるように、頑張ったんだ。小さな勝利の証かな。ケガが勝利ってワケじゃないよ、イヤだよ。だけど、傷跡を見て『あのリハビリきつかったな』なんて思う時はちょっと誇らしい気持ちになる」

リハビリ中は、やっぱり無理かも?という小さな恐怖があって、それがますます厳しく取り組む原動力ともなっていると語っています。

「失敗するのが怖い。心の隅にいつもそれがある。その思いでクレイジーになるほど。勝つのが好きっていうより、オレは負けるのが大嫌いなんだよね」

タフっすよねー、プロのアスリート。体もだけど心がほんっとタフと思います。心強くないと、あんな体作れないよね・・・。

2017/07/01

デレク・カー ラッセル・ウィルソンをディスるの巻

先日、オークランド・レイダースのクォーターバック、デレク・カーさんの契約更新が発表されました。5年で約125億円。NFLの歴史上最高金額とのこと。へぇ~。

さっそく記者会見に引っ張り出されて、現在の心境などを訊かれていました。

「チームのために全力を尽くすことが第一の目標だ。プレッシャーはない。1ヤードラインでマーショーンにボールを渡さすに、僕がパスを出すということはない。あるわけがない。スタッツなど問題じゃない。それが目当てじゃないんだ。

今年のタッチダウンが10でも気にしない。試合に勝つこと、それが一番重要なんだ」


へぇ~。そうなんだ~。ゴール前ならいつでもマーショーンにボール渡しちゃうんだ~。そっか~ラッセルはスーパーボウルの大事な場面で自分のスタッツが気になってたのか~自分がタッチダウン決めたかったんだね~。

とか言うかバカ!

さりげなくラッセルをコケにしてくれるじゃないの、デレク・カー。そうか、そんなにマーショーンに渡したいなら


どんどん渡してもらおうじゃないの


はいはい、気のすむまで渡してくださいな


ふっ・・・。

ま、デレク・カーさんは意地悪な人には見えませんからね、ちょっと口がすべっちゃったのかもしれないですね。この記者会見、居心地悪そうにしてたから。え、オレこんなに金もらっちゃってワリぃ。そんなつもりじゃないんだよ。オレ、フツーの人なんだよ。そんな目でオレを見んといてや・・・。

大型契約を結んで、何を買いますか?という問いには、チックフィレイ(チキンのファーストフード)に行くことと、それから寄付。奥さんになんかいいもの買ってあげようかな。

「彼女はやめてくれって懇願するだろうけどね。まだクーポン集めてるんだよ。いつもネットで安いものを探してる。そういうのはこれからも変わらない・・・」

やめろーーデレク・カー!100円や200円チマチマするな、そんなもんくれてやれ!って言ってやれーーオレが稼いでんだよ、好きなもんいくらでも買ったれ!ってーーヨメのクーポン買いを奨励するなーーーー!

って、どうでもいいですけどね。ふっ・・・。

「この金はたくさんの人を救うことになるだろう。アメリカだけじゃなくて世界中の人をね。それを嬉しく思っている」

と語ったデレク・カーさんでした。大型契約を結んだ今シーズンは、注目が集まることでしょう。あの契約に見合っただけの働きができるのか?期待に応えることができるのか?ということで。

マーショーンもどんなプレイを見せてくれるか楽しみよ~。