2017/07/16

アントニオ・ブラウンとTY・ヒルトン むか~しの話

もう7月中旬ですよ、みなさん!月末にはトレーニングキャンプも始まるし、8月にはプレシーズン。9月の開幕がやっと見えてきた感じ・・・。

と、はやる胸を抑えながら、今日はピッツバーグ・スティーラーズのワイドレシーバー、アントニオ・ブラウンさんとインディアナポリス・コルツのワイドレシーバー、TY・ヒルトンさんが子ども時代に知り合いだったという話を紹介します。昔の記事なんですけどね・・・。

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二人の出身地、マイアミの北西部にあたるリバティシティは、ドラッグがらみの犯罪が多く低所得世帯が大半を占めるタフな街。でも土曜日の公園には、小学生のフットボールチームを応援する家族が詰め掛けます。

テントを張って試合前に貝を焼く人、孫の顔をプリントしたTシャツを着るおばあちゃん、サイドラインには高校のスカウト、子どもの試合に賭けをする大人たち。とにかくフットボールが愛されている土地柄のよう。(NFL選手ではWRチャド・ジョンソン、WRアマリ・クーパー、RBデボンタ・フリーマン、LBラボンテ・デビット、QBテディ・ブリッジウォーターさんなども同郷)

その公園で、小学生だったアントニオ・ブラウンとTY・ヒルトンをコーチしていたのが、ヒルトンの父親タイロンさんでした。といっても、ブラウンのほうが1歳上、体重でも別のクラスだったので、一緒のチームだったことはありません。

二人とも小柄で機敏、抜群の選手という点では同じ。しかしシャイなTY・ヒルトンに対して、アントニオ・ブラウンは自信満々で積極的。小さい時からカリスマ的だったそう。

「コーチ、僕にクォーターバックやらせて!僕、ワイドオープンだったよ!コーチ!」

よく突っかかってきたよ、と笑って語るタイロンさん。コーチの家にはチームのチビッ子たちがよく泊まりに来ました。ヒルトン母手作りの朝ごはんを食べた後、みんなで試合へ繰り出すような家庭。TY・ヒルトンによれば、「みんな、うちの両親が自分ちのだったらなあって思ってたよね」とのこと。

成長するにつれ、フィールドから姿を消してしまう子どももいます。コーチした選手のうち、3人は殺害されました。波に呑まれるように、どこかへ行ってしまった子どもたち。その中の一人がアントニオ・ブラウンだったとタイロンさんは語ります。

「公園に来なくなって、そのまま消えてしまったんだ」

アントニオ・ブラウンの父親、エディー・ブラウンさんは、足が速くラビットと異名をとったリバティシティの花形スター。18歳の時にアントニオ・ブラウンが生まれました。母親と子どもをマイアミに残して、ルイジアナの大学に進学。その後、アリーナフットボールリーグで活躍します。

アントニオの母親とは別れるものの、アントニオ8歳の時に、弟と二人をニューヨーク州アルバニーに呼び寄せます。父はアリーナフットボールと同時に高校のコーチもしていて、兄弟はフットボールづけの毎日を楽しみました。しかし8ヶ月後にはマイアミへ逆戻り。それからずっと父親と会うことはありませんでした。

ヒルトン家から2キロほど離れた場所で育ったアントニオ・ブラウンですが、二人の世界は全く異なっていました。高校になると、友達はクラックコカインを売るギャング組織に入ったり、パーティに行けば必ず最後は銃撃戦になったりするような環境。

16歳の時には、母親が結婚した2度目の父とケンカして家を出ることに。友達のソファや車に寝泊まりしながらも、高校ではクォーターバックをしていました。あまりの評判に、近隣に住んでいたQBジノ・スミスはブラウンが在籍する高校に入学するのを止めたという話も。

卒業後は、学業成績が悪く大学奨学金がもらえない、友達のケンカ沙汰に巻き込まれて入学取り消し、等の紆余曲折を経てなんとかセントラルミシガン大学へ。ブラウンに目をかけていたアシスタントコーチ、ザック・アザニさんが声をかけてくれたのでした。(ビデオ2:20で出てくる人)

なんとかチームに入ったもののヘッドコーチの期待は薄く、最初の試合ではベンチ。しかし残り時間が少なくなるとコーチに出場を嘆願し、やっとフィールドへ。そこで大活躍を見せます。

「試合後には、私の目をまっすぐ見て『ほら、言ったとおりだろう!』って言ってたよww」

と当時のヘッドコーチ。そして、すぐに1試合100ヤードを記録するようになり、名前が知られていきます。そんな折、父親エディ・ブラウンさんが息子の試合にひょっこり顔を見せました。

「ロッカールームの出口に立ってたんだけどね、あいつはオレをじろりと見て通り過ぎたさ」

父親の方から電話をしてみても、そっけなく、気まずい沈黙。そしてある日、遠征先のホテルで面会した時に、息子は泣きながら怒鳴りました。

「オレがどんなふうにやってきたか知ってんのかよ!路上で暮らしてたんだぞ!」





今では、いつもニコニコ顔のアントニオ・ブラウンですが、小さい頃の写真を見ると険しい顔をしていますよね。

「あいつは自分の怒りをフットボールにぶつけていた」

「フットボールが好き、というより、あいつにはフットボールが必要だったんだ」

「絶対にNFLに行ってやるという信念を持っていたんだ」

とかつてのコーチが語っています。

さて、小学校で別れて以来、TY・ヒルトンが再びブラウンの存在を知ったのは、フロリダ国際大学の頃。ライバル校のフィルムを見ていた時、対戦相手に見覚えのある顔を発見したのでした。「ひょっとしてAB?」と驚いたそう。

2010年にNFL入りし、スターダムを駆け上っていくアントニオ・ブラウンを見ながら、体の小さい彼が結果を出しているんだからオレだって、と励みにしたそうです。

2012年にはTY・ヒルトンがインディアナポリス・コルツに入団。その年のプレシーズンゲームで、二人は十何年かぶりで再会しました。まるで子どもの時に戻ったみたいだったとヒルトンは語っています。

今では両親とも和解したと語るアントニオ・ブラウン。すでに4人のお子さんのお父ちゃんですよ!

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持って生まれた身体能力もあったでしょうが、人並み以上のトレーニングを積む姿勢と固い信念がなければ、プロのアスリートにはなれないですよね。もー、こんな話を聞くと、感心するしかないっすよ。

みんな、いろいろ大変・・・。ほんと、えらいなあって・・・。

ということで、ABのプレイも見たいから早くシーズンが始まらないかな~。

2 件のコメント:

  1. NFL選手って苦労人多いですよね。
    TY・ヒルトンさんとアントニオ・ブラウンさんが子供時代に知り合いだったなんてビックリしました。

    ちなみに、私は同じチームの選手同士が仲良さそうに話してるのを見るのがうれしくて好きなのですが、それ以上に他チームの選手同士が仲良くしてたり交流したりしてるのを見るのも大好きです♪
    プロボウルとかの仲良しお祭り感なんて、たまらないぃぃ!

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  2. あさみちゃんこんにちは~。
    そう、なんかチームが違っても仲良さそうにふざけあってる選手多いですよね。もともとアメリカ人がフレンドリーってのもあるんでしょうが、やっぱ同じ志を持った人たちですから分かり合えるものが多いんじゃないでしょうか。ま、たまにソリの合わない人もいるでしょうが、それはどこでも同じっすよね~。
    選手が楽しんでプレイするの、見ててうれしいです。ほんと。

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