先日、ニューイングランド・ペイトリオッツのWRジュリアン・エデルマンが引退を発表しました。小柄な体格ながら、鉄砲玉のようにぶっ飛んでいく姿や、ACLをやった時に「チックショウ!」とヘルメットを地面に投げ捨てた姿が目に浮かびます。ガッツのあるプレイが魅力でした。
昨年オフシーズンの膝手術から回復できなかった結果ですが、その2年前にもACLを痛めているし、身体はもう限界だったのでは。年齢を重ねてから後遺症が残りそう・・。フィールド上に自分のすべてを置いてきたのだと思います。
大学時代はクォーターバック。カナダのフットボールリーグからQBとしての誘いもありましたが、NFLへ挑戦するためレシーバーに転向。ドラフト7巡で指名された後、じわじわと力を発揮しチームのスターに。スーパーボウルMVPも受賞しました。
不屈の闘志で成り上がったジュリアン・エデルマンは、自分の始まりをこんなふうに語っています。
「クォーターバックだから、ウエイトトレーニングはしなかった。それで、ユークリッド(オハイオ州)の練習施設でウエイトを上げ、トレーニングを始めた。2週間後にチャーリー・フライ(元NFL選手・現在ドルフィンズQBコーチ)がやって来た。彼がレイダースに行く前の年だ。NFLクォーターバックの球をキャッチして、驚愕したよ。
彼と彼の練習仲間がいて、僕をコーチしてくれた。彼らの練習を見て僕は技術を学んだ。1日に55ルート走ったよ。次第に自信がついてきた。練習一筋。生きるか死ぬか。そんなふうに3ヶ月特訓した。チャーリーは僕のプロディでも投げてくれた。
だけど、僕が何か誰も分からなかった。チーム練習に招待され、スティーラーズではバックペダルをした。セーフティで使えるかと。クリーブランドでは2、3のポジションを試した。ペイトリオッツではランニングバックのドリルや、プロテクションを試された。
1週間後にスペシャルチームのコーチに呼ばれて、今度はパントやキックオフをキャッチできるかテストされた。いろんなチームで、様々なワークアウトをした。シカゴやマイアミ、49ersとは何度も会った。
ドラフトが6巡になると、数チームが急に電話をかけてきた。「指名はしないが、200万円でフリーエージェント契約しよう」と。4つか5つそんな電話があって、エージェントは「パッカーズがフィットすると思う。パッカーズに行こう」と話していた。
7巡でエリアコード508(マサチューセッツ)から電話がきた。ベリチックのアシスタントだったと思う。「ジュリアン。ニューイングランド・ペイトリオッツだ。君を指名する。ベリチックコーチに代わるよ」と。
座っていた僕は、気が動転した。ビル・ベリチック!「やあ、ジュリアン。君は、まあその、良い選手だ。君が何をするか分からないが、ルーキーキャンプで会おう」と彼が言い、「もちろんです、コーチ!お会いします!」と答えた。
1年目は大変だった。トム・ブレイディだけじゃない。チームにはランディ・モス、ウェス・ウェルカー、ジョーイ・ギャロウェイがいた。スペシャルチームのサム・エイキンズ、トレードで獲得したグレッグ・ルイス。レシーバールームで他の9人と座り、計算してみた。このうち何人を残すんだ?10人のはずはない!
試合のスピードが違う。違いすぎることばかりだ。だけど、自分はここに属する人間だと演じなければ。でないと、誰かが自分に取って代わる。
チームが求めるのは、何でもできる、精神的にタフな選手。それを先輩から学んだ。ケビン・フォーク、トム、ウェス・ウェルカー。僕にビッタリのチームだ。僕はその通りの選手だから。
NFLは、精神的に戦闘の準備ができていなければ、負ける。僕は準備万端だった。毎週の戦いに。
自分を信じることだ。雑音を無視し、成すべきことに集中する。ただ頑張るだけじゃない。コーチや先輩の助けを借りて、自分に不足しているものを見極め、努力する。
人なら誰でも自分を疑う時がある。否定する人もいる。それを遮断し、力を尽くす。少しでも力があり、上手くなりたいと思うなら、真剣に努力するんだ。やれないことはない。僕がその生きた証拠だ」
不屈の魂がユニホームを着て歩いているようなジュリアン・エデルマンでした。
彼の引退を受け、ニューイングランド・ペイトリオッツHCビル・ベリチックさんは、「私がコーチした選手の中で、最も成長した選手」と称賛しています。
常に仏頂面で、余計なことは一切言わない方が、こんなに誰かを褒めるなんて、今まであったでしょうか。
「エリート選手のキャリアを測るものとして、勝利、チャンピオンシップ、結果が挙げられるが、ジュリアンはその全てを持っている。ジュリアンほど業績を残した選手はまれだ。彼の来た道、選手生命を考えると、その数はもっと少ない。歴史的である。彼の競争心、精神的、肉体的強靭さ、上を目指す意志がもたらしたものだ。
来る日も来る日も、ジュリアンはいつでも同じだった。全力のみ。そして、重要な試合で、チャンピオンシップの瀬戸際で、彼はそれ以上の力を発揮した。チームのために何でもした。キャッチ、ラン、ブロック、リターン、カバー、そしてタックル。どんな場面でも、負けまいとする強い姿勢で戦った。ジュリアン・エデルマンは究極の挑戦者だ。コーチできたことを光栄に思う」
こんなに褒められちゃってもう、どうしよう。ジュリアンどっかで泣いてるんじゃないの。
なんつったって、めったなことでは口をきいてくれないコーチなんです。10年間の選手生活で、ベリチックさんと言葉を交わしたのは8回しかないとか言ってました。こちらの動画で。
夜の10時、11時まで練習施設にいるのが好き(!!)と語るエデルマンが、プロ1年目の出来事を告白しています。
「真っ暗なウェイトルームに誰がいるのかな?とのぞいてみると、そこにビルがいた。(0:58)
スクリーンにはフィルム。大きなノートを広げ、耳の横には鉛筆。トレッドミルの上でメモを取ってるんだ。夜11時だから他には誰もいない。信じられないよ。狂ってる。
僕は急いで逃げ出した。見つからないようにね。
その後、ジャグジー部屋を通りかかると、ジャグジーの中にコーチがいた。(1:40)
もちろん僕も入りに来たんだが、そこで目が合った。本能的に、振り向いて立ち去ろうとした。けど、彼は僕に気がついた。そして立ち上がり、出ていった。
本当はみんなショーツを着用する決まりなんだ。だけど夜11時だし、コーチ御大だ。なんでも認められる。僕は、自分の恐怖に慄く顔を隠さなきゃならなかった。ソレを見てしまった時は。
僕もジャグジーに入ったんだが、変な気分だった。トランクスなしで入る人がいるなんて知らなかった。公共物なんだよ。だけどコーチだ。スーパーボウルのリングを3つ持っている。
もうコーチには会わないで帰宅したかった。だけどホールでまた会ってしまった。(3:43)
彼の一歩後ろを僕は歩いた。それ以上でもそれ以下でもない。無言のまま、30メートルくらい。この夜の出来事、すべてが信じられなくてね、ちょっと話しかけてみようと思いついた。
『コーチ、こんな夜遅くまでいるなんて、すごいですね』
彼は振り向き、こう言った。『配管工よりいいだろ。また明日』
僕の頭は混乱した。どう考えたらいいのか。彼は何を言ったのか。僕は怖いくらい幸せで、涙がひとすじ流れたと思う。だって、これがコーチと初めての会話だったんだ。
いや違う、2度めだ。ルーキーの時にOTAでパントのキャッチを教えてくれた。けどそれ以外は『ヘイ、コーチ』『ヘイ、ジュール』。そんなかんじさ」
というエピソード、結構いいと思いませんか。
コーチ。ジュリアン。ふたりの間に言葉はいらない・・・・。
最高の関係、最高のエピソードですね。
返信削除エデルマンの次の人生に幸あれ。。。
ガッツがあり、そしてチャーミングな人でした。。。
削除エデルマン本当に好きな選手でした。
返信削除ブレイディとのホットラインは見ていて気持ちよかったです。
記事にしてくれてありがとうございました。