来シーズンに向け、新体制が整いつつあるNFL界隈です。
ニューヨーク・ジェッツの新ヘッドコーチには、ロバート・サラーさんが就任。これまでサンフランシスコ・49ersでディフェンシブコーディネーターをしていた方です。
会見をちょっと見しただけですが、とても信頼できる感じでカッコ良い。ヘッドコーチ職が似合ってます。
最近のナイナーズの強いディフェンスを作った人でもあり、人望も厚い様子。CBリチャード・シャーマンが、ライオンズがヘッドコーチとして雇うべき機だと、ちょっと前に話していました。(サラーさんデトロイト出身なので)
イスラム教信者がヘッドコーチ職に就くのは、NFLでは初めてのこと。アラブ系の42歳。一時は銀行マンをしていたサラーさんがコーチ職を志したのは、20年前のアメリカ同時多発テロ事件がきっかけでした。
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— New York Jets (@nyjets) January 22, 2021
デトロイトの郊外、ディアボーンはアラブ系人種が集中して住んでいる街で、サラーさんが通った公立高校では90パーセントの生徒がアラブ系。フットボールが盛んな地域で、父親、兄弟もフットボール選手でした。
北ミシガン大学時代はタイトエンド。プロにはなれないと自覚し、銀行に就職します。業務はローンの査定で週給800ドル(約8万円)。
2001年9月11日。ニューヨークの世界貿易センタービルが崩れ落ちるテレビ画面を、サラー家は息を呑んで見つめていました。その日、ロバートの兄デビットがツインタワーのモルガン・スタンレー社に出向していたのです。
「あの時の母の顔。息子を亡くした母の顔だった。この話をするのは、今でも辛い」
と言葉をつまらせるサラーさん。幸いにも、兄はビルの64階から非常階段を駆け降り、ビルが崩壊する前に脱出。しばらくしてやっと家族への電話が繋がりました。
「この経験を通して、本当に自分がするべきことをしているのか考えるようになった。思い悩みながら、その年のスーパーボウルが来た。ラムズ対ペイトリオッツだったと思う。翌朝、出勤して自分のデスクについたら、抑えきれない感情が湧き上がってきた。自分の情熱を追求しなければと」
泣きながら兄に電話し、自分の決心を伝えました。安定した今の仕事に留まるよう、父は説得しようとしました。
レバノンからアメリカに渡った祖父は、仕事を兼業しながら家族を支えてきました。英語の読み書きはできませんでしたが、ゼネラル・モーターズとフォードの工場で同時にシフト作業をしていたこともあります。父親は建設業。移民3世代目のロバートは将来を約束された金融関係の職業に就いたばかりでした。
しかし固い決意は変わりません。まず高校のコーチの紹介で、ミシガン州立大学のアシスタントになりました。月給は650ドルで、仕事は主にコピー取りとコーヒーの準備をすること。
それから中央ミシガン大学、ジョージア大学を経て、ヒューストン・テキサンズのスタッフになったのが2005年。2011ー2013年はシアトル・シーホークスでスーパーボウルも経験しました。
シアトル時代のDCブラッドリーがヘッドコーチとなったジャクソンビル・ジャガーズに移籍し、ラインバッカーコーチを務めた後、2017年にナイナーズのディフェンシブコーディネーターに就任しました。
「あの不幸な事件が始まりだった。そして今、数あるチームの中、ニューヨーク・ジェッツのヘッドコーチになった。最初の試合は、9/11の20周年翌日だ。私はジェッツの20番目のヘッドコーチになる。来るべきところに来たのだと思う。これには理由があるはずだ。やることをやる。迷いはない」
とサラーさんは語っています。
チェスがメチャうまく、頭がキレる人らしい。4月には7人目の子どもが生まれる予定のお父さんでもあります。
ウィキペディアを見てたら、パッカーズのHCマット・ラフルアさんの結婚式でベストマンを務めたとも書いてました。ベストマンといえば、人生を共に歩く一番の親友。へえー。中央ミシガン大学で働いていた時に同僚だったようです。
スーパーボウルでのQBマホームズ攻略法については、
「とにかく執拗に追い続けるんだ。彼はプレイの合間に、爺さんみたいなチョコチョコ歩きをする。足を痛めたような。パスラッシャーは、それに惑わされてはいけない」
と語っています。なるほど、チョコチョコ歩きか。年寄りみたいな。よくわからんけどスーパーボウルはそれに注目してみよう!
新しいチーム、わくわくしますね。各チームでコーチ陣は整いつつあるし、これからトレードやフリーエージェント契約など、選手の移動も激しくなるでしょう。新しいシーズンも今から楽しみです。
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