ペイトン・マニングは全体1位指名を受けてインディアナポリス・コルツへ。NFLを代表する選手となって、18年間活躍し続けました。一方、ライアン・リーフは2位でサンディエゴ・チャージャーズへ入団。ルーキーとして最初の2試合に勝利した後、成績は全く振るわず。素行の悪さもありファンに叩かれ、選手生活は4年で終了となりました。ドラフトバストナンバーワン。そんな呼び名もある彼が、なぜ今、公の場に出てきたのか――。
On @SI_PeterKing's podcast, @RyanDLeaf opens up about what his life was like when struggling with a vicodin addiction. https://t.co/L6w6PDy9vo pic.twitter.com/175TQCIEWo— The MMQB (@theMMQB) December 27, 2017
小さな頃から極度な負けず嫌いだったと本人は語っています。勝てなければ腹が立つ。復讐戦をすぐにでもしたい。相手を情け容赦なく叩きのめしたい。試合で争うことは、ある意味ドラッグと同じだった。これがなければ生きていけない。これ以外に価値を見出せなかったと。
抜群の運動能力を持ち、負けん気も強かった。野球もバスケットボールもフットボールも人より上手。大学までずっと自分が一番で、自信満々だった。それが、プロの世界で挫折。バックアップとしてフットボールを続ける道もあったのに、当時はプライドがそれを許さなかったと語っています。逃げるようにフットボール界から姿を消しました。
3ヶ月後、ラスベガスにボクシングの試合を見に行くと、会場のアナウンサーが思いがけず自分の名前を口にしました。「本日は、有名人がたくさん観戦に訪れています!チャールズ・バークリー!(拍手)タイガー・ウッズ!(拍手)ドクター・ドレー!(拍手)ライアン・リーフ!」他の有名人には拍手だったのに、自分の名前が呼ばれた後は、嵐のようなブーイング。
もちろんNFLで試合中にブーイングされたことはあります。メディアやファンにバッシングされたことも。プロの選手ならそういうこともある。しかしこの時は、プレイではなく人間としての自分を否定された気持ちになりました。その夜、知人にバイコデンという処方薬を渡され、心の痛みを消すことができました。
怒りやすい、自己中心的、人を貶す、不安症。もともとそんな資質があり、依存症に陥り易いタチだったのかもしれない。一度経験したドラッグは、確かに劣等感に圧倒されそうな自分の心を癒す助けになってくれました。
そして薬物依存症へ。サンディエゴの豪邸に住んでいましたが、ブラインドを締め切り、暗い部屋でピルを齧りながら再放送のテレビドラマを眺める毎日。その反面、外に出る機会があると平静を装って生活していました。
しかしある日、故郷のモンタナで知人の家に盗みに入ります。薬がバスルームにある。それが欲しくて留守宅に忍び込んだはずが、家人の車が戻って来て、怪訝な顔で詰問される・・・結局、家宅侵入窃盗罪で服役が決定しました。
32カ月の刑務所暮らし。しかし、ここでの生活、ここで会った人達が自分を救ってくれたのだとライアン・リーフさんは語ります。
26カ月間は何をやる気もなく、自分を憐れんで部屋に籠っていました。そんなある日、退役軍人のルームメイトの言葉が、なぜか心に届きました。「もう、そろそろ頭を砂の中から出す時だぞ。何か役に立つことをしなきゃ。図書館に字の読めない人がいるから手伝おう」
気が乗りませんでしたが、言葉に従い、字の読めない囚人に読み方を教えました。それが1週間続き、また1週間。自分が誰かのために奉仕するのは、これが人生で始めてだと気が付きました。1か月する頃には、夜、枕に頭を置いた時に、自分を少しだけ良く思えるようになりました。この状況もそんなに悪くない。ここから出たい。そして何かをしたい。そんな希望の光が見えてきたのだとリーフさんは語ります。
2014年12月に出所。110日間独房で過ごした時に、薬物とは縁が切れましたが、心と体の治療はずっと続けていかなければなりません。自分も治療施設に通っている間、関連のサポート団体で仕事がしたいと責任者に何度も電話をかけ、やっと面接の約束を取りつけました。電話を切る間際に、向こうでのこんな会話が聞こえてきたそうです。
「しつこく電話をかけてくるヤツがいるんだよ。変な話だが、フットボール選手と同じ名前なんだよ・・・」
面接の後、「普通は時給10ドル(1000円)から始めるんだが、キミは15ドルからだ」と言われ、責任者と固く抱擁。素晴らしい気分だったそうです。NFLでは年5億円もらって、酷い気持ちで過ごしていたのに、やっと晴れ晴れした気持ちになれた――。
以後、ライアン・リーフさんは薬物依存症の患者さんとその家族を援助する活動を続けています。アメリカ全土で講演を行い、知識を広め、依存症に対する理解を深めることが自分の使命。NFLコンバインにも招待されて、これからプロの世界に飛び込むクォーターバック達に自分の体験談を含めたアドバイスをしています。
という、こんな話を聞いてですね、私はYouTubeで昔のリーフさんを見てみました。ほんと、鼻っ柱が強そう。負けた試合の後インタビューされて、記者に食ってかかったりしていた場面もありました。
自分の弱さを公表するなんて、なんと勇気のいることでしょう。自分の経験が誰かの助けになるなら、と運動を続けている彼の姿勢は私達にも勇気を与えてくれます。ペイトン・マニングの華やかな選手生活がひとつの成功物語なら、紆余曲折を経て今に至ったライアン・リーフさんもサクセスストーリーの立役者と呼べるのではないでしょうか。ね!