みなさんこんにちは。今日は、応援している選手のひとり、ピッツバーグ・スティーラーズのRBナジー・ハリスくんを紹介してみたいと思います。
ナジーくんは2021年ドラフト1巡全体24位でスティーラーズに入団。昨年はルーキーながら1200ヤードを走り、プロボウルにも選ばれました。HCトムリンさんからの信頼も厚く、今シーズンはチームのリーダーとしても期待されています。
なんといってもニコニコしてるとこが良いです。サービス精神も旺盛。スペイン語実況のインタビューでは、マイクを奪い、知ってるスペイン語を頭からひねり出そうとしてました。歌を思いついて、踊りなんかも披露してます。かわいいよ〜。
Who enjoys life more than @ohthatsNajee22 … ?
— Adam Schefter (@AdamSchefter) November 9, 2021
Well done, @espnsutcliffe, @ESPNDeportes. pic.twitter.com/oc6k1tRsAK
ドラフト当日は、指名会場へも招待されましたが、それを断り、自分がかつて過ごしたホームレスシェルターでドラフトパーティを開催しました。食べ物や飲み物など経費は自分持ち。
ホームレス支援活動にはずっと熱心に取り組んでいます。
「僕らは何度も家を追い出されて、シェルターや友人宅、車の中で生活した。家族が団結して大変な時期を乗り越えてきたんだ。僕は今、同じ立場の人たちを助けることができる場所にいる」
と語るナジー・ハリス。
こちらの動画によりますと、彼の母親はシングルマザーで子ども5人を抱え、カリフォルニア州を転々とする生活をしていました。
「ほんとに貧乏だった。靴はひとつだし替えのシャツもなかった。その日を生きるだけで精一杯」
小学校では問題児。喧嘩が絶えず、机をひっくり返し、教室を荒らして学校が警察を呼ぶことも。学校を逃げ出したこともあり、手が付けられなかった様子です。
勧められてフットボールを始めたものの、やめたい気持ちは変わりません。しかし次第に自信がついてきます。
カリフォルニア州アンティオックに移り、高校に進みましたが、近所は発砲事件も多発する危険な地域。ギャングの撃ち合いがあり、SWATチームが乗り込み、流れ弾に当たる危険性も高い。
そんな環境の中、彼はフットボールに打ち込みます。夜も、週末も、高校のグラウンドに通い詰めて自主トレーニング。
ある日ジョー・ミクソン(シンシナティ・ベンガルズ)の高校と対戦する試合がありました。2歳年上のミクソンは有名選手で、試合にはたくさんのスカウトと観客が訪れました。
そこでナジー・ハリスは、ミクソン以上の活躍で注目を集めます。ディフェンスラインマンとしてミクソンをタックルし、ファンブルに持ち込み、ランニングバックとしてもタッチダウンで得点。
試合後、ミクソンはナジーに称賛の言葉をかけ、ナジーはミクソンのトレーナーだったマーカスさん、モリーさんと知り合うことになります。
2人は、ウエイトの上げ方を教えるだけでなく、公私共に彼の成長を支えてくれました。
Najee Harris and Joe Mixon will play in the same conference in the NFL.
— Luke Johnson (@Scoop_Johnson) April 30, 2021
Here’s a photo of them 7 years ago in Antioch 👀 pic.twitter.com/BcaDBBJVJx
「僕がどん底にいた時に出会ったんだ。マーカスとモリーが僕を助けてくれた。僕の力を信じてくれた。彼らがいなかったら、僕はここにいない」
ジムに泊まり込み、休めと言われてもトレーニングを続け、ナジー・ハリスの名前が知られるようになると、たくさんの大学から入学の誘いが舞い込みました。
ミシガン大学HCハーボーの強い勧誘もありましたが、アラバマ大学に進学。親しくなったQBトゥア・タゴバイロアに「一緒にアラバマ行こ?」と誘われたのが決め手になったようです。
全米から集まったチームの選手とはなかなか馴染めませんでした。フロリダ出身の選手が話すアクセントが理解できず、食べ物、服装、行動も自分とはかなり違います。
ヘッドコーチであるセイバンとも大いに衝突しました。
「22番お前か、また喧嘩してんのか、今度やったら練習から出てけ」と言われて不服な顔をすると「言いたいことがあるのか、おい!?」と怒鳴られたり、DB好きのHCセイバンに「DBヤワでしょうもねえわ」と軽口をたたいて「なんだって?」と返されたり。
「僕とセイバンは、特別な関係なんだ。お互いに言い争いを楽しんでた。だからあの小さい男が好きさ」とナジー・ハリスは嬉しそうに語っています。
しかし試合でプレーできる機会は少なく、不満が募ります。ホームシックになり、毎週のようにカリフォルニアのマーカス&モリーのところに戻りました。高校の時の友人もいます。アラバマでは気の許せる友人も少なく、親友はスポーツをしない普通の人。転校を真剣に考え、マーカスとモリーに相談もしました。移籍となれば1年間は試合に出場できません。
ここは自分の場所ではない。でもここでやるしかない。結局そう考えて、アラバマに残ることを決意。
3年生になり、やっと出場機会が増えました。2020年、ブラック・ライブズ・マター運動が全米で大規模に発展した時には、選手たちの声を拾って学内デモ行進をHCセイバンに提案。「君たちがそう言い出すのを待っていた。君たちを誇りに思う」と賛同を得て、コーチがデモの先頭に立ちました。
これがチームの団結を強める一因ともなり、アラバマ大学はシーズン全勝、全米選手権優勝を果たします。
晴れ舞台で勝つことはもちろん、トレーナーのモリーさんが一番喜んだのは、ナジーが大学の卒業証書を得たことでした。「最後のテストが終わったよ」とナジーから電話をもらい、それが何を意味するのか理解した時には、感涙が溢れました。
腹を空かせた時には食事を差し出し、寝る場所を提供し、親鳥が羽の下にかばうように育ててきた高校生が、立派に大学を卒業して一人前になったことが感無量の喜びだったようです。
「トレーニングが終わって、ジャクジーに入ってる時に思うんだ。クレイジーだなって。今自分のいる場所が信じられない。生きるのが大変だったんだ・・・」
と語っているナジー・ハリスくん。2年目のシーズンに大いに期待したいです。